我が家には、約6帖相当のベランダがありまして。
模型で見ると、ここです。
たまに気合を入れてシーツや毛布やらを
一気に洗っても、その全てが干せる広さがあって、
なかなか使い勝手が良いのです。
で、コロナウイルスによる外出自粛生活も
いよいよ長引いて参りましたので、
息子と2人で……
じゃん!
テントの内部からリビングを見たところ。
反対側の窓からは、青空と電線が見えます。
ペグは打てないけれど、テントを縛り付ける
場所なんていくらでもあります。
ロープを括り付けた水道の左にあるのはコンセント。
よって、テントの中に32型のテレビを持ち込んで
ミニファミコンなんかを繋いで遊ぶこともできます。
小5になった息子も、
これで少しは気分転換できるのではないかな。
この家を建てるにあたり、
今回のような事態を想定していたわけでは
もちろんありませんが、
こうした使い方もできる広いベランダだったり、
シアタールームだったり、
家庭内カラオケ大会が開けたり、
リビング卓球大会だったり、
「この家でよかったな」って
思うことはたくさんあります。
子どもの勉強を見てあげながらの
リモートワークにもばっちり対応。
実はずっと以前、東日本大震災の後、
宮城県女川町に本拠を構えるサッカーチーム、
「コバルトーレ女川」の選手の方と
お話をする機会がありまして。
その方は元々埼玉県の出身で、
Jリーガーを目指して出場機会を求め、
このチームに入った若者でした。
そして、あの日--3.11を、女川で迎えたのです。
どうにか一命はとりとめたものの、
とにかく物資が足りない。
そこで、
震災から数日後、彼は軽自動車に乗って、
地元・埼玉に一度戻ってきました。
被災地に届けるため、友人に頼んで
集めてもらった物資を取りに来たのです。
その時、彼は見ました。
関東では、電気も水道もガスも通っていました。
暖かいお風呂も、食料もある。
何事もなかったかのような平和な風景。
そうしたライフラインは全て、女川ではまだ
復旧のめども立ってはいませんでした。
体は川の水で洗うしかなく、
夜になれば、未だにろうそくの光だけが
頼りという不便な生活。
「もう、あそこには戻りたくないな…」
一瞬、そんな考えが頭をよぎりましたが、
彼は食料・衣類・生活用品などの物資を
山ほど車に積み込んで、
その日のうちに女川に戻っていったのです。
「これが同じ日本かよって思いましたね」
そんな言葉も忘れられません。
そうして、彼はボランティアなどをしながら
震災後も、女川に残ることを選んだのです。
今は確かに不便な日々ですが、
電気もガスも水道も通っていて、
スーパーに行けば普通に買い物もできて、
ゴミを出せば収集もしてもらえて、
こんなに楽ちんな
サバイバルがあるかい!
って、あの時の彼を思うたびに気合が入るのです。
被災地で、避難所で、
長く辛い日々を過ごした人々の苦労を思えば、
自宅で過ごせるだけでも御の字ですよ、もう。
そんな風に、自分は思っています。
「テント張ったよ」ってのん気な出だしから、
あらぬ方向に着地してしまいましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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